2009年10月31日土曜日

検査結果

10月29日、2回目の診察日。

血液検査の結果、わかる。

CD4 354
ウイルス 8800コピー

ウイルスの数から半年かけてこのくらいの
数字になったのでは?とのこと。

CD4の値はそう高くない。
だが、振り幅がおおきいので
とりあえず投薬は様子見で、ということらしい。

ソーシャルワーカーとの面談で、
マル障の説明をと医師がアシスタントに指示。
障害者手帳の交付についての説明を
これから受けましょうと言われる。

え、もうそんなステージなの?
人によってはCD4の値はもっと低くなってから
投薬を始めたという人もいる。

家に帰って調べたら350以下になったら投薬、
というガイドラインはけっこう古いものっぽい(2001年くらい?)

けれど医師としては「もうそろそろだな」という判断で、
心づもりをしておけ、ということなのだろう。

参った。1年くらいはバッファがあるのかと思ってたけど。
一度始まったらやめられない投薬。
副作用も人によってはひどいというし、
考えたらきりがないが、やっぱり不安。

それよりも、血液検査の結果から、
意外な事実が発覚して、陽性と告知されたあのときより
ショックを受けてしまった。

急性B型肝炎の抗体ができている。
梅毒にかかっていたらしい。

さらに尿検査から、
クラミジアに感染している疑いがある、とのこと。

尿は再検査と言われてしまった。

知らなかった。B型肝炎にかかっていたなんて。
調べると自覚症状のない人は多いらしい。
梅毒は抗生物質を投与すると治ってしまうのだそうだ。
けど血液には梅毒にかかったという印は残ってしまうそうだ。
クラミジア??別にちんちんかゆくないけど?(笑)

本当にすべての感染症について「いつの間に?」という印象で、
自分がものすごく汚い人間みたいに思えて落ち込んでしまった。

7月ごろの急激な発熱や発疹の症状は
梅毒だったのかもしれない。

…知らない間に体はがんばってくれていたんだ。
いとおしいと同時にこんなに痛めつけてしまって
本当にごめんと謝りたくなる。

せっかく天が与えてくれた大事な体を
こんなに粗末に扱うなんて、俺って最低。

そう、いつも思うのだ、事実を知るたびに。
「最低」と。。。

ネガティブに考えると免疫力も落ちるというから
気持ちを切り替えないといけない、と思っているんだけどね。

採尿してからお会計をすませ(2490円)
ソーシャルワーカーの元へ。
陽性とわかってから今までのこと、
告知を誰にするかということ、
などいろいろ話す。

とても話しやすい雰囲気の女性。

「告知して自分に得になるという人だけに言いましょう」
という言葉に、ちょっとほっとする。
そうだよね、何も懺悔するわけじゃないんだ。
お互いの関係に終止符を打つために告知するのは、
今は得策じゃない。それはいつだってできる。
とりあえず、今は少しでも人間性を取り戻すために。。。

それから障害者手帳についての説明。
次の結果(11月に採血した結果を12月にみた、その結果)
をみて、話し合いましょうかとのこと。
なるべく早く、ということだけど、
自分で納得するまでじっくり考えますと言った。

今住んでいるところ、交通が不便だから
引っ越したいと思っているのだ。
手帳は自治体単位だから、引っ越す前の交付は
いろいろと面倒な手続きが増えるかもしれない。
といっても、引っ越しの資金はないので、
まあ、病気優先になることは確実だけど。

ぜんぶ終わったのは午前10時半。
8時50分くらいに診察スタートだったから
だいたいこんな感じだと会社に迷惑かけずに済むかな。

そうそう、「月に1回通院していると
会社に不安がられたり怪しまれたりするのがいやだ」って
ソーシャルワーカーに言ったら

「そこは嘘をついてもいいと思いますよ~。
やっかいなアレルギー体質って診断されて
月一回は血液抜かれているんだよね~とか言ってね」
「仕事の仲間とは割り切って付き合っていいと思う」とも。

そうだよね、確かに。
言い訳、うまく考えなきゃね。

って感じでまた来月も行かなきゃいけない。
11月は仕事がタイトだからちゃんと行けるかな、ま、
忙しかったら予約日変更すればいいかな。

2009年10月24日土曜日

49日

HIVに関しては特に話題はなく、
いつものように淡々と日々が過ぎていく。

まあ、一日としてHIVのこと、
考えない日はない。

あと何年生きているのか、
死ぬときはどんな状態で死ぬんだろう、とか
考えてもしょうがないような、漠然としたこと。

まあ、あまりに漠然としすぎて不安でもあるわけ。

そんな中、母親の49日で帰郷しようとしてる。
ついこの間亡くなったと思ったら、もうこんなに
日数が経っているんだなあ。

母が9月8日に死んで、そしたら今度は俺の感染が発覚して。
今年はここ数カ月でいろんなことが起きてしまった。
まだ誰にも「セカンドカミングアウト」はしていないんだけれど、
母には言えずじまいになってしまった、ということだ。

今のところ、誰に対して、どんな順番で、どうやって話そうか、
そんなことを考えている。

彼氏からか、高校時代からのゲイの親友からか、
それとも家族からか?

家族に伝えるのは一番辛いけれど、
やはり言わないといけないのかな?
父親、兄貴、義理の姉。
一番言えそうなのは、兄貴かな。。。

親には伝えていないっていう人、多いと聞くし、
俺も父親には伝えないつもり。
できれば知らないままで逝ってほしいと思う。

彼氏には伝えなきゃいけないと思っているんだけど、
これも気が重い。
感染した以上にショッキングなことを伝えなきゃいけない。
つまり、浮気していたこととか。。
傷つくだろうなあ、泣くかも。ああ、辛い。

一番伝えやすいのは、ゲイの親友だ。
高校時代からの親友。
学生からの友達だから、一番信用できる。
冷静だし、情に厚いし、なんだかんだ言って
いろいろと悩みを打ち明けている。
こんなだらしない自分の性格をよくわかってくれている
今となってはとてもありがたい存在なのだ。

久しぶりに来月会うことになっている。
タイミングとしては血液の検査結果もわかっているころだし、
ちょうどいいんだよね。
さて、どうなりますことやら。

2009年10月15日木曜日

初診

今日は記念すべき初診日。
午前中に終わらせてしまおうと思い、
気合を入れてふだん絶対乗らない時間帯の
電車に乗り込んで朝の8時に病院に到着。

初診受付はすでに人がたくさん座っている。
この人たち、いったい何時に入っているのかしら?
なんて気にしつつ、番号札を取ると121番。

どうやら100番から読み上げているみたいなので、
俺の前にすでに20人はいるってことか。
ん~、8時ジャストに来たのに、あいかわらず
大学病院はすごいな。

さて、番号を呼ばれ、
初診受付用の用紙と保険証を提出。
それから、紹介状の宛名を確認された。
ちゃんとその科宛てのものかどうか、
ここで確認するらしい。

カルテを作るので待ってくださいと言われ。
待つこと5分くらいかな?

再びよばれ、目当ての科への道案内を受ける。

受診する科に到着。受付にカルテを提出。
おねーちゃんからしばらく待っていろと言われる。
しばらく待つこと10分くらい。この番号が液晶の掲示板に
現れたら入室しろと言われる。
また待つ。20分くらいだったか?
近くにデブメガネのいかにもなにーちゃん一人。
俺の直前の人だったみたいで、俺の手前の番号が表示されると
入室していった。ああ、あの人も感染してるんだな。と思う。

その人が出て行って、おれが呼ばれる。
なるほど、一人出るまでは中に入れないんだな。
そりゃそうだよね、だって病気が病気だもん。

さて、入室。案外狭い。
担当医とそのサブみたいな人、2人の医師がいる。
さらに、看護師が1人。
医師たちは男性で、看護師は女性。

まず基本的な問診。
体調はどう、とか。生活習慣(たばこ・酒・睡眠)について、
家族構成、家族の病気の有無。
身長(自己申告)、体重(体重計に乗る)、体温測定、
HIVについての基本説明(ネットで死ぬほど読んだ内容ばかり)。
触診(仰向けになって足を曲げて指で押さえられる、あれ)。
まあ、内科的なことばかりだよね。

で、これから採血、心電図、レントゲンをしろ、とのこと。
結果は2週間後、その結果を見て、カウンセラー(ソーシャルワーカーって言ってたかな?)
との面会をしましょうか、ということ。

そのあと、病院の体制や診察時間外についての対応など、
マニュアル的な冊子やプリントされた冊子を
看護師の説明とともに受け取る。
この人、専任看護師って書いている。
すごいね、こんな大学病院でこんな職についているんだから、
この人は志高いんだなあと思った。

このとき、病院に入って2時間経過。
まあ、そんなに長時間経っているというわけでもないか。

それから採血と心電図のために移動。
心電図撮影。カーテンで仕切られた空間を急がしそうに
技師や助手、看護師が移動している。
カーテンだけだからほかの患者との会話がだだ聞こえ。
まあ、心電図だし、いいのかな。
心電図した後技師がどっかに飛び出ていって
助手がどうしていいか分からない様子だったけど、
いつまでたっても技師が戻らないから、「ではどうぞ」なんて言って
追い払われる。このあとどうなるの?とか思ったら
いつの間にか技師は戻ってきていてカーテン越しに
俺を盗み見て「あっ、今日は結果出ないんで、まだいたんですか?
すみません、どうぞ次の検査へ…失礼しました」などとしどろもどろなことを言う。
ていうか、こいつ若いあんちゃんなんだけど、
ゲイだな。あのカーテン越しの人の見方。。。

で、採血。ここは鬼のように順番まち。
呼ばれるまで30人くらいはいたかな。
けど滞りなく順番は呼ばれているので、
とにかく人は多いけど、こなす人たちも
迅速にやってくれているんだなと思った。
血は6本くらい抜かれた。。。
これで俺の中のウイルス量やCD4の値がわかるんだな。

そしてレントゲンへ。
ここも滞りなく終了。

この時点で11時くらい。
都合3時間ぐらいかかったってことか。
絶対金が足りないなと思ったので、地下にATMがあるらしく、
おろしたんだけど、地下に行くのにエレベーターか階段しかない。
で、エレベーターはあんなにたくさんあるのに、ちっともこない!
何でもエレベーターを優先して使う場合があるらしい。現に、
それに当たるとせっかく来たのに「乗れません」とアナウンスされた。
さすが病院。今度から地下に行く時は階段使うしかないな。

そしてお会計。10030円也。…まあ、こんくらいは覚悟していたけど。。。
高い! 保険使ってこれだもんね。

ということで会社には昼前に出社することができた。
あんまり長引くと「歯科に行く」って嘘がばれるかなと思って
朝早く出たんだけど、この調子だったら、午前中に終わって
出社することはできそうだなと思った。
もちろん病院すら行けないくらい忙しくなったら、ってことは
考えられるので、投薬治療になったとき、診察できないくらい
時間がないなか、どうやって薬をもらうか?などが課題として考えられる。
ま、けど土曜もやっているというから、もらうだけならもう慣れてきているころだろうし、
土曜に行ってもいいかなと思った。

2009年10月10日土曜日

1週間

保健所で陽性と宣告されて一週間が過ぎた。

あたりまえだけど、自覚症状はなんにもない。

HIV陽性者のブログをよく読むようになった。
お気に入りに登録して定期的にのぞくようになったんだけど、
頻繁に日記を書いている人がいて、恐れ入る。

俺なんてよしっ!日記書こうなんて思って
こんな更新状況だから、やっぱ根がものぐさなんだよなあ。

数日前、なにげにアンアンを立ち読みした。(笑)
よく半年に1回くらいやっている占い特集だ。
俺の星座の分析をパラパラと飛ばし読みしてみる。
「ふだんとはうってかわってベッドでは野獣になるあなた」だって。(笑)
当たっているかも。(笑)
だから感染しちゃったのかなとか自虐的になってしまった。

ず~っとしていないから、そろそろ欲求不満になるかも。
セーフでやるとしたら、いつ、どこで、誰とやるんだろう?
などと妄想した。
発展場? なんとなく行きたくない…。
掲示板? かったるい…。
飲み屋? めんどくさい…。
彼氏? ありえない…。(笑)

ず~っとやっていない彼氏。
こいつに、おれ、感染したって告白できるのかな?
このままセックスレスのままで
付き合っているっていえるの?

別れたくないけど、別れられてもなんの文句も言えないよな。
俺と付き合っているのが不憫でならない。
奴はどっかよそでほかの男とやっているのかな?

あ~また堂々めぐりな方向に考えが…。
セックスレスで同居している友だち(かつてのセクフレ)は
「もう兄弟みたいなもんだよ」なんて言っていた。

けど、やつはまだおれとしたいと思っているはず。
いや、感染しているってわかったらそんな思いは吹っ飛ぶか。

結局、おれ、何したいの?

2009年10月5日月曜日

彼氏と晩飯食ってきた

週1回は彼氏と会って
ご飯を食べるようにしている。
だいたい夜になることが多いかな。

今日、そのことを切り出す気には
なれなかった。

彼氏とは1年以上セックスをしていない。
もし、つい最近感染したのなら、
彼からはありえない。

彼とはもともとアナルセックスをせず、
血液も精液も交わるような
ことは皆無だったから、
移すことも、移されることも、まずない。
もちろん、キスやフェラチオはあったけど、
それも1年以上はごぶさた、なのだ。

そう、彼とはディープキスすらしていない。

なんでかって言うと、やっぱり倦怠期なのかな?

けど一緒にいるととても落ち着くし
話も合うから、友だちみたいな関係に
なっちゃっている。
向こうは酒が入るととっても不満そうに
なんでキスもしないのか責めるけど、
そのたびに俺はうやむやにしていた。

よくないよね、これって。

だからまず、さんざん不特定多数の男と
浮気していたことを謝り、
さらに感染したことを報告するという、
最悪な告白をしなければならない。

どんな反応を返すだろう?
彼氏にとっては、不快感と絶望と、恐怖感まで与えるわけだ。

当然、別れを切り出されても不思議じゃない。

俺としては別れたくないんだけど。
ものすごくわがままだよな、これって。
俺って最低。。。

で、今日なんてごく普通に会話を楽しみながら
晩御飯を食っている。

ちょっと古道具屋めぐりなんぞしながら。。。

2009年10月4日日曜日

小さな悪魔

2009年10月3日つまり昨日は、人生の中で一番の記念すべき日、
HIV陽性であることを告知された日なんだ。

まだ病院には行っていない。

午後、保健所に行ってそのことを告げられた。

思えば危険な行為をしてから2週間たち
今までにない苦しい風邪を引いたことが、
検査を決意したきっかけといえる。

とにかくあのときはひどかった。

発熱に加えて、背中と体中の関節の痛みで苦しみ、
ちっとも立ち上がれず、もがき苦しむだけ。
高熱が少し引いたと思ったら、
今度は、胸、腹、両腕に発疹もできて、これは2日間くらししたら
消えたけど、ますますおかしいと思った。

3日目にフラフラの体で、なんとか近くの町医者を受診し、
抗生物質をもらって熱をちらしながら生活していた。

それでも2週間くらいは食欲もなく、
背中の痛みがいつまでたっても引かず、
「なんかこれはおかしい…」と思っていたわけだ。

2週間前の危険な行為が頭をよぎる。
ひょっとして…感染したんじゃ…。

ものすごく不安になり、
インターネットでHIVの初期症状を
調べまくったら、とある保健所のサイトに
ほとんど今と同じような症状が載っていた。

断っておくけど、もちろんこれは自分がそう思っただけ。
俺のような症状が出たからといって、
HIVと即断はできない。

たまたま、インフルエンザなどの感染症や
不摂生な生活(そのころ深夜の残業が続いていた)が
重なって、変なかぜをひいたに違いない。

そんなに深刻に考えることはないさ。
きっと偶然でこんなに症状が重くなっているだけだよ。

そう、思っていた。

けれど、やっぱり不安はぬぐえない。
それまでやっていた発展場通いやその場限りのセックスは
一切中止して(そんな気になれなかった)、
とりあえず、検査するまでやらないよう言い聞かせた。

休日に検査をやっている保健所は
前々から知ってはいたが、いざ受けようとなると
気が重くてちっとも行く気がしない。

「60日以上たたないと正確にはわからないって言っているし、
まだいいよな」なんて思いながら、
やっと決心して予約を入れた日にちは、
危険な行為をしてから60日と少し過ぎていた。

で、今日、結果を聞いてきたら、
見事に陽性だったというわけ。

医師やカウンセラーに検査の経緯を
話したら、「そのときに感染した可能性はあるけど、それ以前に感染したかもしれない、
いずれにしても病院で詳しく調べないとね」とどちらにも言われた。

実は検査は今回がはじめてだった。
だからいつまでが陰性だったか、正直不明なのだ。

自分でも無自覚な状態がどの程度続いたか知らないが、
ウイルス量とCD4の値がどれほどのものか、
近いうちに分かることになる。

HIVウイルスとの付き合いはまだはじまったばっかりだ。

性欲にまかせてハイリスクなセックスばかり
してきたと思う。
俺の中の小さな悪魔が暴れだして、
あらん限りの欲望をどん欲に満たそうとする。
それを抑えることができず、
頭では感染は怖いと思っていても、
目の前の快楽に理性を失ったクチだ。

ただし、これがきっかけで考え方が
次第に変わってきたような気がする。
あれからセックスはしていない。
まあ、これから一生やらないっていうのは
正直無理かもしれないけど、
そんときは絶対セーフでやると決めている。

今は、探す気になれないや。
こんなに長期間おとなしくできるんだったら、
週末ごとに違う相手とセックスなんて
しなくてもよかったのになあ、と思う。

けどそんなこと考えてもあとの祭りか。
とにかくまずは初診を受けなければ。